残しておきたいことを書いています。

司法試験の受験をやめる話

 題名の通りです。司法試験の受験をやめることにしました。暗い話に思う方もいるかもしれませんが、私としては、逃げた結果として辞めるというよりも、強くなったからこそ辞めるのだという気持ちです。辞めると決めた今、私は毎日がとても楽しいです。私は自分を誇りに思っていますし、後悔もありません。

 そして、私はどうしても、辞めることにした気持ちの変化と、今の気持ちをどこかに記さなければいけないのです。私のこれまでのカッコ悪い奮闘の記録を、私自身のために残しておかなければいけないと思うのです。言い訳だと言われたらそれまでかもしれませんが、それでも良いのです。それならば、私は今から胸を張って言い訳をします。

 

 私は中学生2年生の時分に、検察官になりたいと思うようになりました。最初は『古畑任三郎』や『ケイゾク』といった刑事ドラマに触発され、正義を貫く存在に憧れを抱いたのかもしれません。中学2年生ですからね、厨二病真っ只中ですもの。ちょうどその頃に、祖父も学生時代に法学部に入学したかったという話を聞きました。入学したかったけれども、様々な理由から入学することができなかったとも聞きました。私はその意思を受け継ぎ、法曹になるべきなのだとも思いました。いかにも中学生の考えそうなことですね。

 もうひとつ、きっかけというか、私のモチベーションになっていたのは、親の喜ぶ顔が見たいということでした。試験で良い点数を取れば、両親は誇らしげに、嬉しそうに褒めてくれました。「この調子なら検察官になることも夢じゃないな!」と、娘を自慢に思ってくれているような言葉に、私はこの上ない幸福感を覚えました。私が検察官になれば親はたいそう喜んでくれるだろうと思いました。

 そうして私は、司法試験に合格するための道を選んできました。

 試験で良い点を取る度に母が買ってくれたハーゲンダッツが嬉しかったのです。アイスの味ではなく、「こんなに頑張ったのだから普段は買わない上等なものを買ってあげよう」という母の気持ちと、母と一緒にスーパーを歩く時間が好きでした。正直なところ、ハーゲンダッツなんていらなかったのです。私は今回も学年で一番だったよと、母に褒めてもらいながらいつものスーパーを少しだけ誇らしげに歩きたかったのです。

 

 そうして高校の特進クラスにも堂々と合格しました。入学と同時に、大学受験の勉強をしていました。授業の始まる一時間前に高校に着いて、自習をして、放課後も校舎が閉まるまで自習をして、疲れきって帰宅した日は、この上ない満足感に満ちていました。模試で良い判定が出る度に、家族は喜んでくれました。誰の誕生日でもないのに、A判定が出ると母はケーキを買ってくれました。一緒にケーキを選んでいるとき、私はやっぱり幸福感を覚えていました。でもやっぱり、私はケーキなんでどちらでもよかったのです。

 同級生の中には、良い成績を取ったらゲームを買ってもらっている子もいました。いつもより多くお小遣いをもらっている子もいました。私もゲームは欲しかったし、お小遣いも欲しかったけれど、勉強をしたご褒美としては全く欲しいとは思いませんでした。物が欲しくて勉強している訳ではなかったからです。家族が喜んでくれたらそれでいいのです。自慢の娘になりたかったのです。勉強ができて、物をねだらない、良い子だと認めてほしかったのです。

 

 勉強の甲斐あって、第一志望の大学に入学できました。こんなことを言うと、高校の同級生の反感をかってしまいそうですが、私の通っていた高校から、この大学へ入学することは、なかなかハードなことだったと思います。田舎の公立の、なんちゃって進学校ですから、医学部を受験しようとしている友人に数学を聞いて回ったり、国語の先生に添削をお願いしたりと、でき得る限りの勉強をしていたのではないかと思います。

 当然、家族はみんな、喜んでくれました。大学に合格できたというのは、家族の中での一つの節目だったように思います。合格発表の日、母はこれ以上ないくらい喜んでくれて、父とは初めてハイタッチをして、妹は妹の同級生にも自慢してくれていました。あの日ほど高揚感を覚えた日はないでしょう。家族全員が、私の頑張りを認めてくれて、私を褒めてくれて、私を誇りに思ってくれたのです。

 

 この成功体験と家族の喜びを見て、大学に入学した後も私の勉強は続きました。というよりも、私の学びたかったことがやっと学べるという喜びでいっぱいでした。法律を知れば、家族を助けられるし、家族が疑問に思っていることにも答えられるからです。この私がやっと、家族のために何かできる日が来たのだと、勉強をするのが楽しくて仕方ありませんでした。

 中には授業に出席しない学生さんもいました。睡眠時間の短いことを自慢げに話したり、成績がいかに悪かったかで笑いをとったりしている学生さんを多く見ました。当時の私は、なんと愚かな人たちだろうと、とても考えられない言動だと、ゴミを見るような目で見ていました。せっかく学費を払って、日本でもトップクラスの法律を学べるというのに、「やっていないことがカッコいい」という風潮がすごく嫌いでした。腹も立ちました。そんな人たちには絶対に負けないと、私の勉強量は更に増えてゆきました。

 

 ここまでくると、もう半分以上が意地です。何が何でも飛び級試験に合格してやるんだと心に決めました。散々私を馬鹿にして貶してきた人たちを見返してやるんだという気持ちもありました。勉強で「勝ち負け」が決まるだなんてことはないのに、狭い狭い世界にいた私にとっては、自分を認める方法がもう勉強以外にはありませんでした。

 あなたは何が得意ですかと聞かれたら、きっと勉強だと答えていたでしょう。でも、あなたはどうやって自己肯定感を覚えていますかと聞かれたら、勉強以外に何も答えられなかったとも思います。

 家族を喜ばせるための勉強から、勝ち負けの尺度に使うための勉強になってしまい、更には勉強だけが自分を認めてあげられるものになってしまっていました。

 

 飛び級試験に合格したときにはもう、心も身体もボロボロでした。勉強をすること以外では自分を認めることができないようになって、勉強をしていない時間はずっと苛々していました。勉強しか能がないのに、勉強をしていない自分には一体なんの価値があるのだろうと、自分を追い込んでいたように思います。だからこそ、大学院に入学してからは、人生で一番といってよいほどの勉強時間を確保していました。文字通り、起きている時間はずっと勉強のことばかり考えていました。

 

  人生で初めて、良い成績が取れなくなりました。自分のこれまでの勉強を振り返ってみても、一番勉強しているにもかかわらず、トップにはなれませんでした。

 どれだけ頑張っても、自分の成績はこれ以上伸びないのではないかと思いました。そう考えたらもう、何もかもが上手くいかなくなりました。唯一自分で自分を認められる手段である勉強が、結果を出さなくなってしまったのです。こうなってしまうともう、自分を認めることができません。認めることができないばかりか、自分を許すこともできなくなってゆきました。勉強をしていない間の自分は無価値だと考えるようになりました。家族にも失望されるのではないかという恐怖で頭がいっぱいになりました。一度は「勝った」同級生からも、結局お前はその程度だったのだと思われて、「負ける」ような気がしていました。

 私は常にトップでいなければいけなくて、常に家族に誇りに思ってもらいたくて、誰にも負けたくなくて、勉強を自分の武器にしなくてはいけなかったのに、それが突然、できなくなりました。

 

 ここから先は地獄のような日が続きました。過呼吸になりながら、嘔吐しながら、授業に出席しました。授業に出席しない学生は「愚か」な「ゴミ」だからです。私は愚かでもないしゴミでもないから、出席しなければいけなかったのです。眩暈を起こしながら、涙を流しながら、試験を受け切りました。試験で悪い成績を取る学生は「愚か」な「ゴミ」だからです。私は愚かでもないしゴミでもないから、試験で良い成績を取らなければいけなかったのです。私は勉強のできる良い子でいなければいけなかったのです。

 

 当然のことながら、私の心身はもう限界を迎えていました。一年休学したからといって治るようなものではありませんでした。なんとか復学をして、大学院を卒業する頃には、私は完全に愚かなゴミになっていました。授業にはほとんど出られません。試験中も座っていられずに途中退出することもありました。成績はどんどん落ちてゆきます。私はどんどん自分を許せなくなって、自分の存在価値がわからなくなります。家族にも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。こんな成績では誇りに思ってもらえないし、もちろんハーゲンダッツもケーキも買いにいけません。こんな悪い子に与えるご褒美はないからです。 

 

 一日に12時間できていた勉強が、一日に1時間もできなくなっていました。それでも司法試験の願書は出してしまったものだから、受験するしかありません。それに、大学院を卒業したのに司法試験を受験しないだなんで、きっと同級生は私のことを愚かなゴミを見るような目で見るに決まっています。この狭い世界では、司法試験を受験して、合格して、法曹になるのが当たり前なのであって、それ以外は逃げだからです。勉強が嫌になって、勉強を放り出して逃げたゴミに何の価値もないに決まっています。

 そんな状態で受験して合格できるはずもなく、案の定不合格となりました。でも諦めてはいけません。諦めることは弱い人間がする逃げだからです。他の同級生にできて私にできないのは、私の努力が足りないからです。だから私はもう一年勉強をして、次の司法試験こそは合格しなければいけないのです。

 

 私はもう、勉強ができなくなっていました。

 日常生活が正常に送れなくなってしまっていました。眠ることもできず、食べることもできず、広くもないアパートの部屋の中を移動するのにもふらふらしていました。ベッドからトイレに向かう途中で倒れることもありました。定期的に通院しなければならないような体調不良にもなりました。病気について詳しく書くつもりはありませんが、少なくとも、以前のように大学に行って勉強して帰る、ということが非常に困難な状態になっていました。

 時々、調子が良い日には大学に行ってみました。過去問を解いてみました。友人に添削を頼んでみました。やればできるんじゃないか、と安心することもありました。けれども継続することはとても無理でした。なまじっか勉強をすると、余計に焦りを感じました。あれも忘れている、これも覚えていない、時間が足りない。もっと勉強しないといけない、でも勉強ができない。そんなことを考えるようになってしまい、勉強をしていない時間も、勉強をしている時間も、どちらも苦痛に感じるようになりました。

 

 「好きなことをすればいい」という家族の言葉が、これまでとは全く違う声音で聞こえてきた気がしました。好きなことをしてもいい、好きなことをすればいい、その言葉通りに、私は好きなことをさせてもらってきました。

 私は家族が喜ぶ顔を見るのが好きで、勉強をするのが好きで、だからこそ思い切り勉強をさせてもらってきました。でも、今の私は勉強が好きではありません。勉強をしていると涙が出でくるし、これでは足りないもっと勉強しないといけないと、食事も睡眠も削って勉強しなくてはならないような気持ちになってしまうからです。今の私にとっては、勉強は苦痛で、勉強のせいで正常な日常生活が送れなくなっているのかもしれないと思ったのです。

 

 はじめから、家族は勉強をしている私を誇りに思っていたわけではなかったし、友人は私が勉強をしているから私と友達になってくれているわけではなかったし、私は勉強をしているから生きているわけでもなかったのです。

 授業に出席しないことがその人の全てを決めるわけでも、成績がその人の価値を表すものでも、なんでもなかったのです。

 一番愚かでゴミだったのは、当時の私の狭く歪んだ考え方だったのでしょう。

 

 こうして文字に起こしてみると、至極当たり前のことです。でもこんな当たり前のことが、わからなくなってしまっていたのです。司法試験に合格しなかったら私の存在価値はないと、そんな恐ろしい強迫観念に捕らわれていたのです。

 

 この高校に入学するために定期試験も授業中の発言も頑張ったし、この大学に入学するために高校で頑張ったし、飛び級入学をするために旅行の誘いも断って黙々と勉強を頑張ったし、良い成績で卒業できるように大学院でも死に物狂いで頑張ったのに、それなのに司法試験を受験しないのかと、ずっと思っていました。

 これまでやってきたことが全て無駄になるような気がして、勿体無いような気がして、もう司法試験に合格する以外には生きる道がないと思っていました。いつからか、司法試験に合格することが自己目的化してしまって、勉強をすることが自己目的化してしまって、自分が何をしたくて何をしたくないのかもわからなくなっていました。

 

 冒頭に書きましたが、以前の私であれば、「勉強をしない恐怖」に負けて、体調を崩すことなど気にせずに勉強をしていました。勉強をやめるなんて、人間をやめるようなものだから、なんとしてでも勉強は勉強だけは続けなければいけないと思っていました。全てが水の泡になるのが怖くて、周囲に失望されるのが怖くて、自分を許せずに自分を傷付けてしまうことが怖くて、勉強をすることでその恐怖から逃げていました。

 だから、私にとって司法試験の受験をやめる、ということは一大決心だったわけです。私の価値観を根底から覆すような決心だったわけです。

 

 私は「勉強をしない恐怖」とかいうワケのわからない恐怖をやっと克服しつつあるのだと思っています。それと同時に、これまで私がやってきたことは、少しも無駄にはならないとも思っています。これまでの成功体験は私の人生において大いに私を勇気付けてくれるでしょうし、これまで身に付けてきた知識は私や私の周囲の人を助けてくれることでしょう。

 今は、少しも勿体無いとは思っていません。勿体無いことなど少しもありません。どれかひとつでも欠けていたら今の私は存在していません。

 

 先日、司法試験の受験をやめようと思う、と、家族に話しました。誰一人として反対しませんでした。失望もしませんでした。怒ることも悲しむことも、消極的なことはなにひとつとしてありませんでした。私は家族を甘くみすぎていました。

 

 さて、今年の年末は久しぶりに家族全員で過ごします。普段ならば絶対に食卓に並ばないカニ鍋をしてくれるそうです。カニと野菜とうどんを買いに、きっとスーパーに行きます。私は司法試験には合格できなかったし、成績もよくないし、勉強もしていませんが、これまでの自分とこれからの自分と私の家族のことを誇りに思って、カニを買いに行きます。

 でもやっぱり、私にとってはカニなんてどうでもよいのです。